書評 ”漂流” 吉村昭(新潮社)

”漂流”は吉村昭のノンフィクション小説。江戸時代の土佐の船乗りが、船の難破で漂流し、日本の南海の孤島である鳥島に漂着。12年間にも及ぶ無人島生活を送った史実に基づく物語です。

この本を選んだ理由

テレビでジョン万次郎(中浜万次郎)のことが取り上げられていて、彼の半生を調べたいと思ってAmazon Kindleで購入した書籍です。
ジョン万次郎をAmazonで検索すると数冊の本が紹介されます。
そのうちの一冊がこの本で、昔からファンである吉村昭著ということで迷わずポチしました。
ジョン万次郎の半生と思って読み始め、半分くらいまで別人である土佐の船乗り長平の、史実に基づいた物語だと気付きませんでした。そのくらい没頭して読み進めていました。
長平の史実小説だと知った後も、今後の展開がどうなるのか、その先がどうなるのかと気になり、一気に読破した一冊です。

あらすじ

物語は主人公である船乗り長平が、土佐藩の所蔵米を同じ藩内の村へ帆船で運ぶところから始まります。
8里の行程で藩米を無事に届けますが、その帰路に猛烈な嵐に遭遇し、梶を失い、帆を失い漂流します。嵐の海で九死に一生を得たものの、漂着したのは南海の小さな孤島 ”鳥島” でした。
そこから12年間、長平はどのように過ごし、どのように生き抜いてきたのでしょうか?
そして救助の見込みがないと悟った長平たちがとった行動とは?
島では長平たちが、文明の利器を持たず、着ぐるみ一つから生き残る術を見つけ出していきます。
途中で仲間を失い孤独になるなど、様々な困難に直面しつつも、やがて大きな挑戦へと向かっていく姿が鮮明に描かれています。

読みどころ

着ぐるみひとつでどう生き残ったか

遭難で全てを失い、着ぐるみひとつの長平たちが何を食料に、どんな手段で未知の世界である孤島で生き抜いたのか。食べ物は?火は?水は?
過去、同様の漂着者が生き残れなかったのに、長平たちはなぜ生き残ることが出来たのか。

仲間を失い孤独になったり新たな仲間を得たりした長平の心理状況

12年間を孤島で生き抜いた長平の場面場面での思い。
・過去に鳥島に漂着して生き残ることが出来なかった人たちの亡骸と対峙した時の心境。
・仲間が一人また一人と亡くなり、長平ひとりが残された時の心境。
・新たな漂流者が島に漂着してきた時の長平の孤独から脱し、人と巡り会えたことの喜びと、
一方で、何もない孤島にたどり着いてしまった新たな漂着者達の絶望感とのコントラスト。
南海の孤島で生き延びるための信仰心と何があっても生きていくという気力を持ち続ける長平の強さ。決して強調されて表現されている訳ではありませんが、淡々とした描写だからこそ伝わってきます。

救助が見込めないと悟った長平たちがとった行動とは

救助が期待できる船舶の通過は見込めないと悟った長平は漂流者たちにある提案をします。その提案とは?

まとめ

娯楽どころか、何の道具も持たない孤独な孤島での生活を、江戸時代の若者が日々どういった心境で耐え忍ぎ、生き抜いてきたのか?
絶望的な環境の中、どう自分の心をコントロールしながら過ごしていたのか?
現代社会に生きる我々には想像すらできないことですし、ましてや長平の様な心持ちで生き抜いていくことはもはや不可能なのかもしれません。
人間は極限の状態に追い込まれた時、時に考えられないほどのパワーの発揮したり、瞬時に的確な判断ができると言われています。
そのおかげで船が漂流した時、長平を含め四人の船乗りは生きるため的確な判断をして島にたどり着くことができました。
しかし、本当の人間力を試されたのは漂着から始まる人界から完全に切り離された孤島で生活でした。先の見えない長い時間軸の中で、生きる意志、意欲を持ち続けることの難しさとそれを成し遂げた男の存在をこの物語は伝えています。
著者は12年間という長きにわたり孤島生活を生き抜いた長平を決してヒーローのようには扱わず、一人の人間として淡々と描き写しているところが作品のリアリティーを増幅させ、まさにノンフィクション小説と謳われる所以だと思います。

余談ですが

余談ですが長平たちが生き延びる糧となるアホウドリが出てきます。
このアホウドリという名は、人間が接近しても逃げ出さず捕獲が容易だったことから命名されたそうです。
長平たちが漂着したころ島を覆い尽くすほどいたアホウドリが、乱獲により、一時は絶滅したとまでいわれました。
長平たちの生きるための捕獲と、その後の商業捕獲による乱獲により、今では国の特別天然記念物に指定されるほど激減したその事実に、何か考えさせられるものがあります。

作家 吉村昭

著者の吉村昭は史実の徹底的取材と検証を基に事実を描いている作家です。
小説 ”羆” においては、その緻密な光景描写に、読後の就寝時、窓から(マンションの4階なのでありえないですが)羆が飛び込んでくるのではという恐怖心に襲われた記憶があります。
登場人物の心理的描写を誇張なく淡々と描く表現は、読み手が変に主人公に感情移入することなく、客観的に読み進めることができる真髄、まさにこれぞノンフィクション小説です。

当初の目的(ジョン万次郎の半生を辿る)とは違いましたが、ジョン万次郎以上に、より過酷でより逞しく孤島で生き抜いた野村長平の存在とその半生に触れることができた価値ある一冊でした。

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